ネット上でとある雑誌の『「ゲド戦記」についての暴言』という記事が話題になっていた。
先日までは、摂津堂テクスト/日記のような、何か - 『ゲド戦記』が宮崎吾朗監督でなければならない理由に全文引用が乗っていて、見てよ読んでよって言えたんですが、今は削除されてしまっています。
かいつまんで説明すると……
ジブリは良くも悪くも宮崎駿ワールドであり、そこで作られる物は全て彼が太鼓判を押した物でないと、世に出す事を許されないらしい。
たとえば、あるアニメータが作業をしていて、気にくわない部分があったりすると、その仕事を横から取り上げ、「ここはこうじゃなきゃ駄目だ!」みたいな感じで変えてしまうという。まぁ、その程度なら、どの職場でもありそうな光景だけども、他の人が監督を務めている作品にも口を出して、気にくわないと強引に自分を監督に変えて、彼の納得のいく形に変えた上で公開するのだそうだ。
そんなだから、優秀なアニメータが居たとしても、彼に全てつぶされてしまい、やめてしまうという。結果、ジブリでは若くて優秀なアニメータが育たず、高齢化現象が起きているらしい。
そこでゲド戦記ですよ。これは駿が30年ほど前にやりたいやりたいと作者に手紙をだしていたのだけど、「日本のアニメなんかにゲド戦記はできませ~~ん」と無礼きわまりない返事をもらって居たそう。ところが、2年ほど前に「やっぱり駿は天才で~す!ゲド戦記やってくださ~い」という打診があったそう。ところが駿にもプライドがあったのか「いまさらできるわけ無いじゃないか!」と断ったということ。
でも、鈴木敏夫はやりたかった。どうにかしてジブリでゲド戦記を実現させたかった。たとえば新人監督を据えて、ゲド戦記を制作し始めたとして、駿の事だから、気にくわなくなって作品を取り上げるに決まっている。それでは、なんの進歩もない。
その現状を打開するために、鈴木敏夫はアニメ経験の無かった、宮崎吾朗を大抜擢したのだという。
駿の扱い方を良くも悪くも知っているのが、息子である吾朗なのであって、一般の新人ならば辞めてしまうであろう事でも、息子の吾朗ならば、それを物ともせずに持ちこたえる事ができるという。さすがに息子から監督を取り上げる事などしないのではという読みもあったのだろう。
こうして、本来ならば実現しなかったゲドの映画化が実現したのだという。
映画自体は面白くない愚作かもしれないけども、ジブリの進むべき将来を考えたとき、この作品はかなり重要な役割を担って居るんじゃないか。
と、まあこんな感じの事が書いてあった。
これを読んで、一番感じたのは、うちの会社も一緒だ……てこと。
うちは製造業で、旋盤やフライスなどで金属や樹脂を削っている、いわゆる町工場。それも、ほとんど家族のみでやっている、家内制手工業だ。以前は社員なども雇っていたけども、今では家族オンリーになってしまった。ジブリと同じで、若い社員が育たないのである。
宮崎さんも尋常でないくらい働くんですね、そこが、あのスタジオのみんなにとってのプレッシャーですよ。トップが一番働いてどうするんですか。ヤですよそんなの。
うちも似たようなところがあって、社員を雇っても、社長が頑張り過ぎちゃって、気を抜く余裕が無い。毎日毎日定時を過ぎても、社長は黙々と9時10時まで働くわけですよ。社員は定時になんて、帰れやしない。定時にあがろうものなら、いや~な空気を感じながら帰る事になる。
そりゃ社長は自分の会社だし、働けばそれだけ売り上げがあがり、良いのは分かる。でも、社員からしたら、それだけ頑張っても残業代は着くものの、一日中立って機械を動かし、頭を使い頑張っても、給料には限界がある。おのずと給料に見合った労働では無くなってきて、ギブアップとなる。
やはり適度というのが必要で、社長が頑張って引っ張って、みんながひ~ひ~言って、付いていかないと維持できない会社は、所詮一代で終わってしまうもので、その中から優秀な後継者は育たないように思う。
社員にやる気をださせ、目標を持って社員主導で頑張っていくようにするのが、理想だ。
それには、社長が現場で死ぬほどがんばっては駄目なのであって、やはり会社全体が歯車が回るように、上手くかみ合って動くように、潤滑油の役目を果たさないといけないと思う。それが社長の役割だと。
サンという少女キャラがナイフをひらめかせてアシタカに斬りかかるシーン。アニメーターは普通にまじめに作画していたんだけど、宮崎さんは途中の動画一枚からサンの腕を消して、ナイフがひらめくハレーションのみに修正しました。
たしかにそうすれば、サンの動きがスピーディかつリアルに見える。
でも、目の前で自分の仕事を完全に否定されたアニメーターは辛いですよね。宮崎駿は天才といわれると同時に、こんなひとの下で働きたくないですよ。なんでかというと、明らかに自分が子供の頃から憧れて、いまだに追いつけない天才が、毎日自分の仕事を駄目だって言うんですよ。こんなストレスに耐えられる新人いないですよ。
これも、まさにこのまま(T_T)
製造業もお得意さんの要求する精度が日々上がっていて、社内の管理体制も整えなきゃならないし、スケジュール管理も細かく厳密にしていかないと、上手く全ての機械が動いていかない。おのずと、話し合いの時間や調整でパソコン画面とにらみ合いスケジュール管理なんて状況もしばしば。しかし、社長は今までそんなものは無くても、全て頭の中に予定が入っていて、やれていたんだ。そんな物に時間をとられている暇は無いんだ。と全否定。
結局今までの方法で、上手くやってきたから、今後もそのままで良いんだという。でも、裏返して考えると、たまたまその方法でうまくいっただけで、運が悪かったら駄目だったかもしれない。今後もそのままでうまくいく保証など、どこにもないのに……。
今のままで良いんだという考えは、企業の成長をストップさせていると思うし、もし社員のやっている事が、多少間違えていたとしても、その間違いを学ぶ事で成長していくものだと思うんだけども……。
宮崎吾朗くんがどうもうまく話にのせられて、監督をするということになったらしいんですね。
で、その件に関して、昨年の12月26日、世間ではクリスマスもしくはコミケと騒いでいる時期に、宮崎家の家族会議があったそうです。
その家族会議で吾朗くんは宮崎さんに「おまえのような人間には、才能もなければ力もなければやる気もなければ、監督しての能力がなんにもない。おまえには『ゲド戦記』はできない!」とまで言って、それきり二人は口をきいてないそうです(笑)。
もう、オタク界の伝説ですよ、これ。日付まで分かってるんですよ。
で、鈴木さんはそれでも宮崎吾朗くんを監督にすると言ったので、まぁ、宮崎駿さんというひとはなんだかんだいっても、鈴木敏夫には言い負けちゃう人なので、監督になった。
それに関して宮崎駿は、ジブリの中とか人前で、大声で宮崎吾朗の悪口を言わないというのを約束させられた。すごい父親ですね。いやな天才でもあり、いやな父親でもあるんですね。
こんなのは、世襲の企業なら、どこでも抱えている問題で、多かれ少なかれ親というのは、子供はしょせん子供で、いつになっても自分は超えられないと思っている。いや、皆がそうではないと思うけども、うちも似たり寄ったりだ。
毎日が侮辱の連続、こんな中で耐えられるのは、親子だからと言える。普通の部下と上司だったら、とっくに辞めている\(~o~)/
そんなこんなで世界のジブリも、何の事はない、一般の町工場と同じ問題を抱えて悩んでいたわけだ。
今回のジブリ映画、つまんなそぉ~~~!とか思っていたけど、意外なところで共通点を見つけ、なにげに応援したくなってしまった。ぜひ、次回作があるなら、もっともっと羽を伸ばして、自由に作品が作れると良いのにねぇ~っと思う。
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KOuっす。
おもろい!
後輩が育たないってのは、会社としては問題あるのかもしれないけど、短期的なモノ作りにとっては、だからっていって質の悪いものを使うって方がよくない。
どちらをとるか?ってのがマネージメントの悩ましいところなんだろうね~。
でも、社員と経営者(特に小企業は)って、会社に対しての感情がまったく違うじゃない?同じ気持ちを持てって方が無理だと思う。会社作ったことも無く自分のものでもない会社に働く社員が、自分で作って自分のものである社長と同じ気持ちになれって方が無理。その両者の気持ちの差が前提で、お互いにその差を理解すれば、社長は残業しても社員は定時で帰るってことができるんじゃないかなぁ。
ただ、会社への気持ちは無理でも、仕事(案件ごと)に対しては、社長も社員も気持ちを共有できると思う。それが社員自分が取ってきて自分が担当ならなおさら。社長はその姿を見て、社員も会社を同じように愛してくれた、と勘違いするけど。
宮崎駿は、社長じゃなくっって社員なんだろうね。逆についてけない新人や宮崎駿批判の方が社長みたい。
>>1 KOuさんへ
もうね、突き詰めて考えると、人間関係になってきますからね、一番厄介な問題です。
逆に、この部分さえクリアできれば、かなり楽に維持していけるとおもうのに、そこが出来ない(T_T)
本当に悩ましいですよ。