Not quick a Nine

納得いかない!!

転売をかんがえてみる

転売について、考えてみる。
何故転売がいけないのか?、この記事を読んで、はて?みんなは何を問題としているのだろうか?と不思議に思った。

法律的にはどうなのか?

方々でこれだけ騒がれてはいるが、法律的には何も問題がない。
日本は資本主義の国なんだから、安く買って、他に高く売るなんて行為は、なんらおかしい事ではなく、商売をしようと思うならば、転売という行為をなしには絶対に語れない。 転売を否定する事は、ほぼ全ての商売を否定する事になる。
安く買って高く売る、これは株取引や先物取引も同じで、資本主義である以上は、これを規制する意味など無いといっても言いほど。

売るのが悪いのか?買うのが悪いのか?

そもそも需要と供給があるから転売が成り立っている訳で、転売を無くしたいのならば、需要を減らせば良いが、この需要が無くならない限りはどうにもならない。 転売屋から買わなければ、この需要が減るが、そうそう減るわけがない、なぜなら、余分にお金を出してでも欲しいという人がいるからだ。
ではなぜ転売屋から買わなければならないのか?良くこの手の話をすると、出てくる話に「転売屋がいて、品薄状態だから、買わなきゃならない状態なんだ」というのがあるけども、それはちょっと違う。
転売屋が居ようが居まいが、購入しにくい物はしにくい。購入しにくい物は、並んで買うなり、ネットで血眼になって探すなり努力をしなければ、購入できない。 転売屋から購入する人達は、まずこの努力という物をしない。その努力よりも、多少のお金を払う事で、購入できた方が得と判断するからだ。
転売屋が居なくなったところで、この人達が買えるようになるのかというと、ノーだろう。そもそも努力を惜しむ人間は努力が足りない訳だから。転売屋が居なくなってせっかく出来上がった在庫も、新たにその商品をほしがる『努力する人達』にかっさらわれるわけだ。 結果、買えない『努力しない人達』はなかなか買えないということになる。
いうなれば、この『努力しない人達』にとっては、転売屋というのは、逆に欠かせない存在なのでは?とも思えてくる。転売屋と購入者、実は持ちつ持たれつの関係だ。

転売は無くすには

結局需要があるから供給があるわけで、その図式を崩せない限り、その商品に関する転売を無くすことは出来ない。転売屋から購入せざるを得ない状況というのは、品薄状態なわけだから、その品薄状態を無くせば良いだけのことだ。出荷を多くすれば良いだけ。例えば任天堂のDS Liteにしてもそう。もっと出荷して、どこの販売店にも在庫がある状態にすれば、転売屋から買う必要も無くなり、この商品に関する転売は無くなるはず。任天堂は安定出荷を目指していると言っているけども、こんなにも長く品薄状態が続くのは、かなりおかしい。
どんな事情があるか分からないけども、DS Liteがそんなに量産不可能な製品だろうか? 携帯電話が1人1台という時代になっても、生産不足にならない現代に、DS Liteごときが品薄ってのは、どうみてもおかしい話だったりする。

オークションという強力助っ人

この転売という行為をこれまでメジャーに押し上げた一番の立役者がオークションサイトだろう。オークションサイトが無い頃は、点在する需要を探したり集めたりするのが困難だったために、転売のメリットよりも、その手間のデメリットの方が大きかった。ところが、このデメリットをオークションサイトが殆どを吸収してしまったために、急速に転売が普及することになった。なんせここに出品すれば、品物をほしがる人が勝手に集まってくれるのだから。 需要を殆ど努力無しに集めることが出来、転売のメリットが明確になった。

そもそもオークションというのは、殆どの出品物が転売によって成り立っているわけだから、転売を否定するならば、その前にオークションを否定しなければならない。

とはいえ、球数が決まっているチケットなどを大量に買い占めて、値段を釣り上げる行為などは、批判されるべきだろうし、迷惑防止条例でも禁止されている。
先日話題になった『「ポケモン」スタンプラリーにも転売ヤー – ITmedia News』なども、違法ではないにしても、気分の良いものではないし、直接的に迷惑をかける行為として、慎むべきではないか?と思う。 とは言いつつ、儲けられるところでは、どんなことをしてでも儲けようとする、目の付け所は流石だ。

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