昔から不思議に思っていることがあります。それは時間。
時間って楽しいことをしていると、あっという間に進み、嫌なことをしていると、ゆっくり進みますよね。これってなぜでしょうね?
たとえば遊園地で楽しく遊んでいる1時間と、教習所でつまらない学科の授業を受けている1時間では、圧倒的に遊園地の1時間の方が短く感じます。
とっても不思議……。
こんなことを、人に話すと、「会ったり前じゃん!」とか「そう感じるだけ」とか言われちゃいます。
でも、同じ1時間が、その時々で違う長さに感じるってどういう事?
そもそも時間ってのは人間が生活してゆくために、便宜的に作り出した単位ですよね。全世界、全宇宙で1時間はどこへ行っても1時間です。 でも、上の例を考えると、人それぞれ、その時々によって1時間の長さは違って感じられる訳で……逆を言えば、1時間を感じる長さは個人個人違うんですよ。
私が普段思っている1時間と、この文章を読んでいるあなたが思っている1時間は全く違う可能性があります。
いや、可能性があるというよりも、違うはずです。
そんなことを考えつつ、目の前を蚊が“ブ~~ン”と通り過ぎるわけですが、この蚊も、私とは違う時間の感覚で生きているはずです。私たちには考えられないほど、羽を細かく動かしながら空を飛びます。そして確実に叩いたと思った手のひらから、あざ笑うかのようにひらりと身をかわす技は、時間が止まっているとしか思えない神業です。
きっと彼らからしたら、私たち人間などは、ナマケモノが動いているように見えているのかもしれません。
そして、ナマケモノからしたら、自分はカールルイスのように(古いっすか?)素早いアスリートのつもりでも、他の動物の方がもっと早くなってしまうわけです。
この時間の感覚というのは、訓練次第で、自力で調整できるんですよね。
ボクシング選手がパンチを神業のようにかわす。
野球のバッティングの際、ボールが止まったように見える。
などなど……。
一般には一瞬の出来事のように見えるものでも、彼らは日頃の訓練で、その一瞬を普通の何倍もの長さにして、神業を実現しているのでしょう。
そして、この神業というのは、全ては脳のスピードアップによる効果なんじゃないか?って思うわけです。
人間が何かの危機に陥ったときにも、同様の時間の感覚を体験できます。
幼い頃、高い場所から足を滑らせて、真っ逆さまに落ちたことがありますが、足を滑らせてから下に落ちるまで、一瞬の出来事でしょうが、私にははっきりとスローモーションになりました。
火事場の馬鹿力という言葉がありますが、生命の危機を感じ、脳がフル回転をして時間の感覚を伸ばし、その間に出来る限りの事が出来るようになるのでは?と思います。
この時間の調整を訓練で支配することができれば、凄いことができそうだな……と思ったりします。
逆に、時を飛び越える技ってのは、すでにみんなが身につけている技なんですけどねぇ。……睡眠ね(^。^)
と、特に科学的根拠があってそう思うんでも、相対性理論を読んだわけでもないので、ただただ、個人的に昔から不思議だなぁと思う事って話で書いてみました。
2005.07.19追記
ともぞーさんにコメントを頂き、「像の時間、ネズミの時間」という本を知りました。
動物は「体重」と「寿命」が比例し、一生の心拍数はほぼ同じであるため、象もネズミも、彼ら自身が主観的に感じている時間は同じ長さであるというのだ。
像の時間、ネズミの時間より
まさにその通り! これが言いたかったんですよ。いやぁ、国語はもっと勉強すべきですね(^^ゞ
主観的時間、客観的時間という表現がぴったりだと思います。
自分にとっての時間は、相手によって早くもなり、遅くもなるということです。
そして、このことは人間同士にも当てはまる話で、もしグズだとかノロマとか言われている人がいたとしても、それはそれで、主観的には極平均的なスピードなのであって、第3者が客観的にその早さに関して、あ~だこ~だ言うのは、ばかげた話だと思ったりします。
私はこう思う!みたいな時間に関する意見あったら、コメントくださいな。
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Posted on 7月 19th, 2005 by snail
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