Not quick a Nine

納得いかない!!

ゲームにおけるお札

海長さんの所で、興味深いエントリがあったので、コメントをと思いましたが、ちょっと長くなりそうなので、こちらでトラバ。
『海長とオビ湾のカジノロワイヤル』 お札を使うってのはどうか

この記事では、得点の計算が分かりにくいから、お金使っちゃえばイイじゃんって話。
私も最近はそう考えたりすることが多くなりました。

というのも、そもそもお金で決着を付けるってのは、昔のすごろくの定番でしたよね。
億万長者ゲームや、人生ゲームもそうだし、あのアクワイアもそうです。一昔……いや、ふた昔くらい前までは、それ以外の勝敗の付け方はあまり思い浮かびません。
億万長者ゲームやアクワイアなどのアメリカ製ゲームは、そもそも富を築く=お金を稼ぐということに固執した、いかにもアメリカチックなゲームです。ところが、そこに降って湧いたドイツゲームは、別の方法で勝敗を付けるゲームが多い事に驚かされます。
たとえゲーム中にお金というものが登場したとしても、それで勝敗を決するのではなく、勝利ポイントなどのいわゆる名誉というモノに重きを置いて、勝敗を決めるゲームが多く存在します。
そこまで無理して勝利ポイント制にしなくても良くね?と思うこともしばしば。

でも、これって資本主義一辺倒のアメリカと、共産主義と資本主義が交じったドイツと、なにか歴史とゲームがダブって見えますね。アメリカという金融資本主義とか、市場原理主義とかに対抗しているようで、不思議だなぁと思ったりします。
こういうのって、やはり教育的な観点から、ボードゲームに反映されたりしているんでしょうかね。

ま、そんな難しい話は置いておいて。

ゲームとして、お金を使わないというのは、上記した理由ばかりでなくて、ゲーム自体のオペレーションをシンプルにするという、重要な役割も担っています。
実際、アクワイアをプレイすると、銀行役になったプレイヤーは、お金のやりとりで、ゲームの思考を幾度となく遮断されるために、かなり不利になったりします。なので、お金を使わない方法でシステムを構築できたら、もっとスマートで短時間でできるライトなゲームになるのにと思ったりします。

昨今のゲームの傾向として、より準備が楽に、ゲーム時間も短めにといった、ライト化が進んでいて、実際流行るゲームも、重めのゲームよりも、軽いゲームになってきています。
これが良いか悪いかはさておいて、そういった事情を統合すると、ボードゲームからお金が排除される傾向にあるのは、当然かもしれませんね。

ただし、お金はお金独特の面白さを演出できるのも事実です。
現実には手にできないような富を、ゲームではありながら手にするという爽快感は、このお金、特にお札でしか実現できない気がします。
誰もが人生ゲームや億万長者ゲームで大金を手にして、お札で扇子のように仰いでみたり、相手の頬を叩いてみたりした記憶があると思います。(あら、、、歳がばれますかね?)
あの気分てのは、お札でしか味わえないんですよね。

もうね、なんでか知らないけど、単純にお札が束になっただけで、わくわくする。
この感覚はやっぱりお札なんですね。
本物ならもっといいんでしょうかね(^_^;

資本主義が全盛の時代に、それに逆行するようにお札を排除し続けてきたボードゲームですが、今度は、リーマンショック以降、金融資本主義が崩壊し、いよいよ世界的な恐慌と言えるような不景気が訪れた今、またゲームから消え去っていたお札が復活してくるのも近いかも知れません。

確かに、海長さんがおっしゃるように、「これってお金で決着付けたほうが分かりやすいじゃん」ってゲームは結構あったりしますよね。

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